『さばきの宣告〜神の憐れみに包まれて〜』創世記3章14〜24節

世の中には多くの宗教があり、それぞれが「神」について異なることを教えているので、一体神はどのようなお方なのかと混乱させられます。ですから、真の神がご自分を啓示してくださった聖書を通して、神を正しく知る必要があります。私たちは、自分勝手に神のイメージを作ってはいけません。聖書を通して示されているとおりに、神を知り、神を礼拝するのです。

 

今日の聖書箇所は、神が、ご自分に反逆した人間に対して、さばきを宣告される場面です。神は罪を正しくさばかれるお方です。しかし、神はそんな罪人を憐れんでくださるお方であられます。この神のさばきの宣告のただ中に、神のあわれみがあり、さらに救いの希望が与えられています。神は憐れみ深く、救いの手を差し伸べてくださる王です。

 

1、蛇(サタン)に対するさばきの宣告

最初に、神は、人を惑わして反逆させた蛇、すなわちサタンに対してさばきを宣告なさいました。

 

「神である主は蛇に言われた。『おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。』」(創世記3:14)

 

神は、蛇に対しては悔い改めの機会すら与えませんでした。蛇がしたことは最悪のことでした。神が良いものとして造られた世界を、治めるために造られた人間を、神に反逆させたのです。人は、神を信頼せず、神の命令を破り、自分が神のようになろうとしました。それは、神に対する反逆です。

 

神は「王」です(第一テモテ1:17)。この世界の王国においても、王に反逆して、王座を奪おうとする者は、普通死刑に処せられるでしょう。それほど重い罪だからです。同様に、王である神に対する人の反逆は、重い罪です。その罪を犯させた蛇の罪は、より重いのです。

 

ですから、神は蛇をどんな家畜や野の生き物よりものろわれるようにされました。具体的に、「腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる」というのろいです。これは、文字通りの意味なのか分かりませんが、確かなことは、蛇、すなわちサタンは「惨めな状態」に置かれたということです。

 

それから、神は、蛇に惑わされて、蛇の側につき、神に敵対してしまった女が、サタンの側にいることがないように、サタンと女の間に敵意を置かれました。

 

「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ」(創世記3:15)

 

神は、サタンと女の間に、サタンに属する者たちと神に属する者たちの間に敵意を置かれました。これは、その両者の間に敵対関係が生じ、戦うようになるということです。最終的には、女の子孫、つまり神に属する者たちが、サタンを滅ぼすのです。

 

「彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ」とありますが、頭を打たれたら死にますが、かかとを打たれても致命傷にはなりません。すなわち、神に属する者たちは、サタンとサタンに属する者たちとの戦いにおいて苦しみ、傷つきますが、やがてはサタンを滅ぼし、勝利を治めるということです。

 

この「彼」とは「神に属する者たち」であり、同時に、「イエス・キリスト」を指していると考えることができます。神の御子であるイエス・キリストは、女の子孫としてお生れになり、神への完全な信仰と従順と十字架の死によって、悪魔を滅ぼされました(ヘブル2:14〜15)。

 

そして、キリストによって悪魔から贖われ、キリストのご支配の下に召された神に属する者たちが、やがてサタンの頭を踏み砕くのです。神が、そうしてくださいます。(ローマ16:20)

 

しかし、無傷による勝利ではありません。キリストは罪人たちに苦しめられ、十字架にまでつけられたのと同様に、キリストのしもべたちも苦しめられるのです(ヘブル12:3)。けれども、敵は私たちを滅ぼすことはできません。悪魔を滅ぼし、罪と死の力に勝利された、復活の主イエス・キリストが、私たちに永遠のいのちを与えてくださるからです。(ヨハネの福音書10:28〜30)

 

2、女へのさばきの宣告

次に、神は女にさばきを宣告されました。

 

「女にはこう言われた。『わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。』」(創世記3:16)

 

本来は神を中心とした、愛と信頼によって結ばれた夫婦関係の中で、安全に苦しむことなく子どもを産むことができましたが、神に背いたことによって、出産に苦しみが伴うようになり、夫婦関係に亀裂が生じるようになりました。妻は夫を求めますが、夫は妻を力で支配するようになりました。一方が他方を支配するようになるという関係は、夫婦関係にとどまらず、すべての人間関係に現れるようになりました。

 

3、人へのさばきの宣告

続いて、神は人にさばきを宣告されました。

 

「また、人に言われた。『あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないと、わたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。大地は、あなたに対して茨ととあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。』」(創世記3:17〜19)

 

本来は、人はエデンの園という祝福された肥沃な土地を耕して、そこから豊かな実りを得ることができました。また、食べるの良いすべての木が与えられていました。さらに、いのちの木から食べることによって、永遠に生きることができました。

 

けれども、人の背きのゆえ、大地は呪われてしまい、人は一生の間、苦しんで食を得なくてはならなくなりました。さらに、ついには息絶えて、死んでしまうことになりました。

 

これまで、女と人に対するさばきの宣告を見てきましたが、それは本当に悲惨なものです。人生にはなぜ苦しみがあるのか。なぜ死があるのか。その答えの一つがここに明確に示されています。それは、人が神に反逆した結果なのです。

 

そして、このさばきは、神が前もって告げておられたことでした。

 

「善悪の知識からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:17)

 

神は真実なお方ですから、ご自分が語られたとおりに、人間に死を与えられたのです。サタンは、この神の命令を使って、人を殺したのです。

 

一体どのようにして、人は神に対して、自分を弁護できるでしょうか。「食べたら必ず死ぬ」と言われたものを、人は食べてしまったのですから、神に向かって「人に苦しみと死を与えるなんてひどすぎる」とは言えません。人は、自分の罪を認めて、このさばきを受け入れなくてはならないのです。

 

4、神の憐れみ

しかし、神は人を憐れんでくださいました。神は人を滅ぼすのではなく、生かしてくださいました。さらに、人の罪を覆い隠すために、皮の衣を作って着せてくださったのです。

 

「人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が生きるものすべての母だからであった。神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。」(創世記3:20〜21)

 

皮の衣ということは、動物が犠牲になったということです。人の罪が覆われるために、動物の血が流されました。しかし、これは表面的なものであり、人の罪が完全に赦されたということではありません。けれども、やがて神が人の罪を完全に覆い、赦してくださる日が来るのです。そして、その日はもう来たのです。神の御子であり、罪も汚れもない唯一の人であるイエス・キリストが十字架上で流された尊い血によって、信じるすべての人は罪を赦されました。もう、神を恐れて、隠れなくて良いのです。確信を持って、大胆に、神の御前に近づけるのです。

 

「神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるのですから、私たちはキリストに代わる使節なのです。私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。」(コリント人への手紙第二5:19〜21)

 

憐れみ深い王である神は、私たちの背きを赦し、和解を与えてくださったのです。それは、キリストの十字架を通してでした。神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。つまり、罪人で滅ぼされるべき人間が、キリストにあって神の義、すなわち神の命令をすべて守り、神に栄光を帰した者として認められ、和解され、聖なる神の御前に近づき、神の栄光を受け継ぐ資格を与えられたのです。

 

神は、人をエデンの園から追放し、いのちの木からも取って食べて、永遠に生きることがないようにされました。しかし、憐れみ深い神は、キリストを通して人間がもう一度神のみもとに戻り、永遠に生きることができるように救いを与えてくださいました。ハレルヤ。