聖書と私

私は小さな頃から教会へ行っていましたが、大学生になるまで自分で聖書を読むことはありませんでした。けれど大学生になると、クリスチャンの先輩が学内で一緒に聖書を読んでくれることになりました。時々すっぽかして、友だちと遊びに行くこともありましたが、それでも先輩はいつも聖書を開いて待っていてくれました。いつの間にか、聖書を読んで一緒に祈る時間がかけがえのないものになっていました。色々なことに悩んで落ち込んでも、聖書に触れると元気をもらえたからです。

 

大学3回生の秋、オーストラリアへ留学しました。初めて家族のもとを離れて、全く違う環境で生活することになったので苦労しました。特に、自分の存在価値について悩みました。自分と他の人を比べ、周りからの評価に振り回されて、すっかり自信を失ってしまいました。そんなとき、聖書が私の心を慰めてくれました。自分の言葉でもなく、この世界の言葉でもなく、神さまのみことばに耳を傾けるとき、生きる希望が湧いてきました。なので、いつも聖書を持ち歩き、どこでも聖書を読みました。学校でも、レストランでも、公園でも、電車の中でも、バス停でも。聖書は私の最も深い心の渇きを満たしてくれました。

 

今も私にとって、聖書はいのちの泉です。昔、まだ聖書が翻訳されていない言語の聖書翻訳をしている方のお話を直接聞いたことがあります。その人は子供たちに質問しました。「無人島に水と食糧の他、あと一つだけ何かを持って行くことができるなら、何を持って行きますか?」。私の答えは覚えていませんが、その人の答えは「聖書」でした。びっくりしました。でも、今は私も同じ答えになりました。