『神が造られた素晴らしい世界〜罪から贖うキリスト〜』創世記1章1節〜31節 

①進化論か創造論かは、信仰の問題

多くの人たちは、「創世記は神話だ」と言います。進化論が正しいと考えているからです。けれど、進化論は科学的に証明された事実ではなく、憶測です。誰も進化の過程を目撃した人はいません。進化の過程を実験で証明した人もいません。一方、創造論も科学的事実として証明されたものではありません。

 

ですから、「進化論か創造論か」=「科学的か非科学的」ではありません。実際、世の中には、進化論科学者もいれば、創造論科学者もいて、どちらの陣営も誠実に科学的探求をしている人たちがいるのです。結局は、「神を認めるか、神を認めないのか」という信仰の問題です。

 

②神は六日間で世界を創造された

・一日目

さて、聖書の冒頭、創世記の1章1節にはこう書かれています。

 

「はじめに神が天と地を創造された。」(1:1)

 

創世記は、紀元前1500年ごろに書かれました。エジプトで奴隷として働かされていたイスラエル人たちを、エジプトから解放した指導者モーセが、神の力を受けて、創世記を書き記しました。当時は、地球や宇宙の仕組みについてわかっていませんでした。ですから、彼らにとっての世界は「天と地」でした。これは、大空と大地のことです。科学が進歩した現代から理解すると、これは神が宇宙と地球を創造されたということです。

 

神が宇宙と地球を創造されたとき、地球にはまだ何もありませんでした。

 

「地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。」(1:2)

 

地球に存在してたのは闇と大水、そして神の霊だけでした。神の霊は、闇の中、大水の面を、いのちと意思をもって動いていました。

 

神は、最初に光を創造されました。

 

「神は仰せられた。『光、あれ。』すると光があった。神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。神は光を昼と名付け、闇を夜と名付けられた。夕があり、朝があった。第一日。」(1:3〜5)

 

「神が仰せられると、そのとおりになる」という仕方で、万物は造られていきました。つまり、神のことばによって、すべてのものは造られたのです。「光、あれ」と仰せられると、光がありました。光がなければ、何も見ることができませんが、今、私たちは光のある地球に生きています。

 

・二日目

神は大空を造られました。

 

「神は仰せられた。『大空よ、水のまっただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。』神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。すると、そのようになった。神は大空を天と名付けられた。夕があり、朝があった。第二日。」

(1:6〜8)

 

どこまでも高く、どこまでも広がっている大空も、神によって造られました。

 

・三日目

神は陸と植物を造られました。

まず、陸です。

 

「神は仰せられた。『天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。』すると、そのようになった。神は乾いたところを地と名づけ、水の集まった所を海と名付けられた。神はそれを良しと見られた。」(1:9〜10)

 

私たちが住んでいるこの地(陸)は、神さまによって造られました。

 

次に、植物です。

 

「神は仰せられた。『地は植物を、種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、種類ごとに地の上に芽生えさせよ。』すると、そのようになった。地は植物を、すなわち、種のできる草を種類ごとに、また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた。神はそれを良しと見られた。夕があり、朝があった。第三日。」(1:11〜13)

 

神は、野菜や穀物や果物などのすべての植物を造られました。地があらゆる植物を、一日で芽生えさせました。しかも、それらは種を作り、繁殖していくことができました。

 

【創造主こそ礼拝されるべきお方である】

ここまで、創造の三日間を学んできました。聖書はこれを神話ではなく、歴史的事実として語っています。また、この創造のみわざのゆえに、神こそ栄光と誉れを受けるにふさわしいお方であると聖書は語っています。

 

「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」(ヨハネの黙示録4:11)

 

どんな権力者や支配者でもなく、神こそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方です。なぜなら、すべてのものは神によって造られ、存在しているからです。現代人は、被造物の美しさに目を留める機会が減っているのではないでしょうか。しかし何より深刻な問題は、それらを創造され、存在させておられる神に目を向けないことです。私たちはどうでしょうか。神はいつまでも、とこしえまで礼拝されるべきお方です。

 

・四日目

神は、太陽と月と星を造られました。

 

「神は仰せられた。『光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。また天の大空で光る物となり、地の上を照らすようになれ。』すると、そのようになった。神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼を治めさせ、小さいほうの光る物には夜を治めさせた。また星も造られた。神はそれらを天の大空に置き、地の上を照らさせ、また昼と夜を治めさせ、光と闇を分けるようにされた。神はそれを良しと見られた。夕があり、朝があった。第四日。」(1:14〜19)

 

神は太陽と月と星を作り、天の大空に置き、地の上を照らさせ、昼と夜を治めさせました。神はまず地球を作り、そのあとに宇宙の星々を造られました。宇宙には無数の星が存在しますが、それらは地球のために造られたのであり、地球は特別なのです。

 

・五日目

神は、海の生き物と空の鳥を造られました。

 

「神は仰せられた。『水には生き物が群がれ。鳥は地の上、天の大空を飛べ。』神は、海の巨獣と、水に群がりうごめくすべての生き物を種類ごとに、また翼のあるすべての鳥を種類ごとに創造された。神はそれを良しと見られた。神はそれらを祝福して、『生めよ。増えよ。海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。』と仰せられた。夕があり、朝があった。第五日。」(1:20〜23)

 

神は五日目に初めて生き物を造られました。海の巨獣とはどんな生き物でしょうか。「獣」という言葉(原語であるヘブル語)は、「竜」とも訳すことができます。今日にはもう存在しなくなってしまった、巨大な海の生き物がいたのかもしれません。神さまは、海の巨獣、水中のすべての生き物、翼のある鳥を種類ごとに造られました。そして、祝福して、繁殖していくようにされました。

 

・六日目

創造の最後の日です。神は、地の生き物と人間を造られました。

まずは、地の生き物からです。

 

「神は仰せられた。『地は生き物を種類ごとに、家畜や、這うもの、地の獣を種類ごとに生じよ。』すると、そのようになった。神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、地面を這うすべてのものを種類ごとに造られた。神はそれを良しと見られた。」(1:24〜25)

 

家畜といえば、牛、羊、馬、ラクダなどでしょうか。這うものといえば、ヘビやトカゲや虫などでしょうか。地の獣といえば、サル、ライオン、狼、熊、象などでしょうか。神は、これらの地の生き物をすべて種類ごとに造られました。魚がトカゲに進化したのではありません。最初から、魚は魚、トカゲはトカゲ、サルはサルとして造られました。

 

そして、神は創造の最後に人間を造られました。

 

【神は人を「神のかたち」に造られた】

「神は仰せられた。『さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。』神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。』」(1:26〜28)

 

神は人を特別な存在として、男と女に造られました。「人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう」と仰せられましたが、「われわれ」とはどういう意味でしょうか。創世記が書かれた当時の古代中近東では、王や神(偶像)などの偉大な存在に「われわれ」などの複数形が使われることがありました。それは、その存在の偉大さを示すためであって、実際に複数存在するという意味ではありません。ここでも、「われわれ」というのは、創造主である神の偉大さを示す表現であって、神が複数おられるということではありません。

 

では、「われわれのかたち(神のかたち)」とはどういう意味なのかというと、「神の代理人として世界を治める存在」であるということです。これは、人間が好き勝手に生き物を扱う権利があるということではありません。むしろ、人間は神からゆだねられた生き物たちを、神に代わって正しく治めていく責任があるということです。この責任(創造命令、とか、文化命令、とか言われたりする)を果たしていくために、人には他の生き物にはない特別な能力が沢山与えられています。

 

すべての人間が「神のかたち」に造られています。「人間って何者なんだろう」という問いに、聖書ははっきりと答えています。あなたも私も、「神のかたち」に造られているのです。

 

【神が食物を与えてくださった】

神は、人と生き物に、食物として植物を与えられました。

 

「神は仰せられた。『見よ。わたしは、地の全面にある、種のできるすべての草と、種の入った実のあるすべての木を、今あなたがたに与える。あなたがたにとってそれは食物となる。また、生きるいのちのある、地のすべての獣、空のすべての鳥、地の上を這うすべてのもののために、すべての緑の草を与える。』すると、そのようになった。」

(1:29〜30)

 

神さまは植物を食物として与えてくださいました。ですから、人も、地上の生き物も、空の鳥も、みんな満たされていました。お互いの肉を食べることはありませんでした。すべての生き物がお互いを恐がることなく、平和に共存していました。

 

【非常に良かった】

神さまが造られたすべてのものは、非常に良いものでした。

 

「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。」(1:31)

 

「どうしてこの世界に悪が存在するのか」という問いに対して、「神が悪を創造した」と言われることがあります。しかし、そうではありません。神が造られたすべてのものは、非常に良かったのであり、神さまは何一つ悪いものを創造されませんでした。

 

 

③被造物は神の力を現している

世界は神によって造られたので、この世界自身が神の力を現しています。

 

「あなたがたは目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方はその万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つも漏れるものはない。」(イザヤ40:26 旧約聖書)

 

「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。」(ローマ1:20 新約聖書)

 

被造物を通して、神の力ははっきりと示されています。ですから、私たちは、神が造られた素晴らしい世界を前にして、「神はいない」と言うことはできません。

 

 

④万物を贖うキリスト

 

しかし、神が造られた世界は、罪によって堕落してしまいました(創世記3章〜11章)。罪とは、神に背き、神のみことばに従わないことです。神と人との関係が壊れました。人と人との関係、また人と被造物の関係も。また、被造物同士の関係も。なんで世界はこんなにも悲しみや苦しみに満ちているんだろう?どうして人は愛し合えないんだろう?どうして私はこんなにひどい人間なんだろう?

 

神は私たちとこの世界を見捨てることなく、愛してくださり、救いを送ってくださいました。

 

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16 新約聖書)

 

キリストが私たちを罪から救い出し、壊れた関係を癒し、平和を与えてくださるのです。

 

 

 

*創造論科学について、ご関心がある方は以下のサイトをどうぞご覧ください。

聖書の創造に関する科学の情報が豊富に載っています。

バイブル・アンド・クリエーション

 

追記(2022年3月9日)

創造の第一日目の始まりは創世記1章3節からだと解釈することも可能です。その場合、1節の「宇宙と地球の始まり」は、第一日目よりも前の出来事だということになります。それがどれくらい前なのかは、聖書には書かれていません。この解釈だと、現代科学で推定されている138億年という宇宙の年齢とも矛盾しません。

(参考:『科学ですべて解明できるのか?』、ジョン・レノックス著)